「みんな“多動力”を履き違えている」 >> 箕輪氏による壮大な手のひら返しなのか?
ホリエモンの多動力という本。
25万部を突破してなお、まだまだ売れ続けているようです。
曰く、「一つのことをコツコツとやる時代は終わった。
これからは、全てのモノがインターネットに繋がり、全産業の〝タテの壁〟が溶ける。
このかつてない時代の必須スキルが、あらゆる業界の壁を軽やかに飛び越える「多動力」だ。」
この本一見すると、非常に心地良いんです。
僕はちょっと気になる事があると、すぐに手を出して始めてしまいます。
でも、非常に飽きっぽい性格で、途中ですぐに止めてしまいます。
色々な物に手を出しては止める、これまで何か一つの事に時間を掛けて
集中して取り組んだ事はほとんどないし、モノになったためしがないのです。
でも、この多動力という本によると、それでもいいんだと。
むしろ、無理して我慢して一つの事をやっているのは時間の無駄、色々試していいんだと、言ってもらえているような気になり、
「なーんだ、これで良いんだ」「むしろオレの性格、今の時代にあってる」
みたいな事を、一瞬思わせてくれます。
たぶん、この本を読んでいる読者のみなさんも同じような感覚なのでは
ないでしょうか。
また、広く受け入れられている理由、ヒットしている理由でもあると思います。
しかし、そんな思いに冷水を浴びせるような発言が、
この本の編集者である箕輪氏から飛び出したんですね。
曰く「この道ダメだったから、こっち行く。こっち行ってもダメだったからあっち行く。で、クルクルクルクル回ってこれぞ多動力! みたいなこと言っているヤツいるんだけど、もう全然違くて。
本当に多動力な人は、おさむさんとかホリエモンとか、圧倒的にやっているんですよ。僕もレベルは違うけど、もう圧倒的に主軸のところを絶対に負けないぞ、という量をやってますね。」
「本当に凄い人って、努力というかそれが好きだからやっているんだけど、圧倒的にやり続けている何かがあるんですよ。」
「「多動力とは死ぬほど何かを突き詰める力だ」っていうふうに定義を変えようと思って。でもね、本にはそういうこと書いてますからね。」
この記事がnoteにアップされた後、結構な勢いで
ツイートされました。
非常に関心を集めた結果だと思います。
んで、この箕輪氏の発言が手のひら返し的発言だったのか?
この記事を読んで、少なからずショックを受けた人もいるかもしれません。
「そりゃないよ」「聞いてないよ」
みたいな。
僕はこのブログで、自己啓発本やビジネス本のメソッドを実際に試して、
その結果本当に人生がうまくいくのか、成功するのか、という事を
検証していこうとしています。
僕はホリエモン大好きなので、この多動力をブログでの検証第一弾としようかと
思ったのですが、以下の章を読んで、諦めました。
第3章
サルのようにハマり、鳩のように飽きよ
この章、本当に大事な章なんです。
他の章の文脈とは若干異なります。
とにかく何かひとつの事にハマってハマってハマりまくって、
やりつくせと、それこそ寝食を忘れるくらいに没頭するくらいに。
僕、これが出来ないので実践を諦めました笑
ハマる、没頭する、これが出来る対象が見つからないから苦しんだり、悩んだりしている人って結構いると思うんですよ。
僕もまさにその一人です。
理屈抜きでハマる事が出来るもの。
たしか村上龍氏がどこかで言っていたのですが、村上龍氏にとっての小説、中田英寿氏にとってのサッカー、そういう物を持っている人は強いと。
でも、それは見つけるというよりは、出会うものだと。エンカウンター(出会い)だと。
こういったものに、出会う為に多動力を発揮するべきだと思うんですよね。
自分がハマれる対象に出会う為に動き回る、このフェーズがつまり
多動力1.0
なんです。
で、一つの事で突き抜ける事が出来たら、また違う事をやっていく。
このフェーズに移行すると箕輪氏が言うところの多動力、つまり
多動力2.0
なのではないかと、勝手に解釈しています笑
多動力1.0まで否定されると、ちょっとツラい笑
という事で、結論としては、これは箕輪氏の手のひら返しではありません。
noteの記事にある通り、「「多動力とは死ぬほど何かを突き詰める力だ」っていうふうに定義を変えようと思って。でもね、本にはそういうこと書いてますからね。」
多動力とはただただ次から次に動くだけじゃないんだよ。
それでだけでは駄目だよ。そのフェーズはまだ多動力1.0なんだよ。
続きがあって、自分の中で、核となるものを持って、それで突き抜けて
トップオブトップになるんだよ。
そこから、横展開して行く事、多動力2.0まであるんだよ。
という事だと思います。